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私のキャリアプラン

帆苅 なおみ

帆苅なおみ

帆苅 なおみ
サンデン・ビジネスアソシエイト(株)

略歴

1996年 国立高崎病院付属看護学校卒
2001年 群馬県立医療短大 地域専攻科修了
2014年 群馬大学大学院保健学科 博士前期課程修了(保健学修士)
2001年 サンデン株式会社入社
2014年 分社化により、サンデン・ビジネスアソシエイト(株)転籍
  総務人事部 安全衛生グループリーダ(現職)

資格

  • 保健師
  • 労働衛生コンサルタント(保健衛生)
  • 産業カウンセラー
  • 日本産業衛生学会 産業看護部会幹事、政策法制度委員、生涯教育委員

現在のお仕事について教えて下さい(業務内容や日々のお仕事中の様子など)。

 私は自動車空調システムを開発、製造している企業で働いています。
保健師の資格を取得して初めて就職したのが現在の会社ですが、早いもので入社20年になります。群馬県内の生産事業場の最初の保健師として採用され、その後は群馬本社、東京本社、全国の営業拠点や海外赴任者の担当保健師として仕事をしてきました。その間、保健師が増員され、現在は保健師4名の体制で仕事をしています。
 私は群馬県にある本社に勤務しており、主に2つの役割を担っています。一つは全社方針と施策を展開する本部の保健師の役割です。もう一つは、事業場の保健師業務の管理と本社の担当保健師の役割です。統括的な仕事から実務まで幅広い仕事をしています。
 日々の仕事では、個別の健康相談、健康教育、衛生講話、拠点の健康づくり活動の支援などの担当保健師としての仕事をしつつ、全社の安全衛生に関するガイドライン作成や健康づくりの中長期的な施策を企画、運営しています。

学生時代についての思い出(例:所属サークル)や当時考えていた将来の方向性について教えて下さい。

 学生時代は吹奏楽部でテナーサックスを吹いていました。テナーサックスは吹奏楽では中低音パートを支える地味な楽器ですが、中低音があることで主旋律が美しく響きます。音楽以外でも人の役に立てることに喜びを感じる気質なので産業保健師の仕事は自分に合っていると思います。
 看護師を目指したのは、中学2年のときに24時間テレビで難民キャンプの様子を見て、海外での支援活動に携わりたいと思ったことがきっかけでした。また、大正生まれの祖母が元看護師で「これからは女性も手に職を持って自立しなさい」と幼少期から繰り返し聴かされていたことも影響していると思います。

産業衛生の道を志した時期(年齢・年代)やきっかけについて教えて下さい。

 21歳で総合病院に就職し、その後は地域のクリニックの外来看護師として食事指導や訪問看護の機会を得ました。その中で、疾病予防の大切さを実感し、26歳のときに医療短大の専攻科に進学しました。そこで運命の出会いが訪れます。産業保健の非常勤講師として現産業看護部会長の五十嵐千代先生が講義にいらしたのです。当時は企業で産業保健師としてご活躍されており、産業保健師の活動事例をたくさん紹介してくださいました。40年以上にわたる就労期の健康を支える産業保健の意義を知り、産業保健師になりたいと強く思いました。そして、なによりも実践者である五十嵐先生が、イキイキと輝いていて、先生のような産業保健師になりたいと思いました。

新人時代の思い出について教えて下さい。

 新入社員の合宿研修に参加して、入社同期と苦楽を共にしたことが最初の思い出です。その後、製造実習で部品のプレス作業を1か月間経験しました。立ち仕事のつらさや製造職場の雰囲気を感じることができた貴重な経験でした。
 保健師として着任してすぐに衛生講話やメンタル相談の対応があり、毎日が必死でした。その当時は保健指導も検査データを見ながら一方的に食事、運動のことを伝える全くダメなものでしたが、面談した社員から「保健師さん、仕事頑張っているんですね、自分も頑張ろうと思いました」と笑顔で言われたことを今でも覚えています。何事にも真摯に対応することを忘れてはいけないと、初心に返る思い出です。

人生における転機やキャリアプランに関わる大きな出来事がありましたら教えて下さい。

 入社10年目を過ぎ、個別支援のスキルはついたものの、組織支援に課題を感じていました。事業場で健康づくり活動をする際に、衛生管理委員会などのメンバーに主体的に活動に参画してほしいと思っても、健康づくりは保健師の仕事という風で、保健師だけが空回りしていました。どうしたら、メンバーが主体的に健康づくり活動に関わり、組織的な健康づくり活動の推進ができるのだろうかと悩んでいました。そんな折、職場の課題解決のために大学院での研究ができると聞き、大学院へ進学したことが一つの転機でした。研究で得られた示唆が実践の課題解決につながったことで、研究が実践のためにあることを実感し、研究を身近に感じられるようになりました。

転機を越えた後の新たなキャリアにおける思い出を教えて下さい。

 事業所の衛生管理委員会を活性化し、事業場全体の健康づくりを推進したことは貴重な経験です。衛生管理委員会で事業場の健康課題解決を共有し、課題解決のための施策として、メンバーそれぞれに部活動を企画してもらいました。素晴らしいアイディアが出て、それ以前のイベント参加者の5倍を超える社員が参加しました。その活動は、社外の雑誌にも取り上げていただき、その年の従業員表彰で衛生管理委員会が社長表彰されました。委員会活動の成功により、メンバーの意欲が高まり、委員会活動が活性化され、事業場全体の健康づくりが推進されていくことを経験しました。大学院での研究を活かした組織支援の成功体験として思い出に残っています。

本学会との関わりやメリットについて教えて下さい。

 学会活動では、産業看護部会の幹事を始め、委員会活動にも参加させていただいております。他企業の産業保健看護職とのつながりができたことは大変有益でした。また、委員会活動では多くの良好実践事例に触れることや、産業保健看護の役割と専門性を深く考える機会を得ることができました。所属企業への貢献はもちろんですが、学会での活動を通じて、社会全体に視野を広げ、産業保健看護が貢献できることを考える貴重な経験を積むことができていると感じています。また学会や全国協議会、地方会の研修会に参加することで、新しい知見を得て、実践に活かせることは大きなメリットだと思います。

これから産業衛生の道を志す方々に向けて、メッセージをお願いします。

 就労世代の健康はその後の人生にも大きく影響します。また、一日の大半を過ごす職場が健康に与える影響は大きく、働く人の健康を支援する産業保健の仕事はとてもやりがいがあります。職業性疾病の予防はもちろんのこと、関係者の連携を図り、個人、組織、事業場の課題を解決すること、働く人が活き活と仕事で力を発揮できるように働きやすい職場環境づくりをすること、それらの活動を通じて企業経営にも寄与できることが産業保健のやりがいだと思います。

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