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私のキャリアプラン

貴志 孝洋

貴志 孝洋

貴志 孝洋
筑波大学環境安全管理室
神田和泉町町会青少年部

略歴

 上智大学、東京大学大学院において触媒化学や安全工学(化学工学)を学び、修了後は三菱化学株式会社(現・三菱ケミカル株式会社、以降「三菱」)に就職し、化学プロセスの安全性評価やスケールアップ(ラボから量産プラントによる工業的生産への移行)に携わっていました。その後、みずほ情報総研株式会社(現・みずほリサーチ&テクノロジーズ株式会社、以降「みずほ」)に転職し、コンサルタントとして化学物質管理に係る行政支援や国内外動向調査などに携わり、適切な安全衛生管理支援を目指して化学物質のリスクアセスメント手法開発や安全衛生教育教材作成などを手掛けていました。
そんな中、ご縁があり2023年4月から筑波大学に教員として着任しました。

現在のお仕事について教えて下さい(業務内容や日々のお仕事中の様子など)。

 安衛法に基づく化学物質リスクアセスメント対応を中心に、大学内の環境安全管理に携わっています。つくばキャンパスに加え、筑波大学附属病院や東京キャンパスの巡視などを通じ、日々現場の実態や業務を学ぶ中で、「本当の現場目線での安全衛生管理支援とは何か」を考えさせられています。
 その傍ら、安全衛生に係る研究を行っており、「安全」と「衛生」の垣根を超えたOROCHI研究会(Occupational Risk Of Chemicals Initiative)を開催しています。様々な分野の専門家との意見交換を通じ、「安全衛生」×「社会学」といった新たな学問領域の構築を目指しています。また、神田和泉町という秋葉原にある町の町会員として神田祭など地域振興にも携わっています。

令和5年神田祭の宮入の様子

学生時代についての思い出(例:所属サークル)や当時考えていた将来の方向性について教えて下さい。

 小学校3年生の時にテレビでアメリカのロックバンドKISSを見て、「俺もこうなりたい」と言い出すような子供でした。その時に、祖母からエレキギターを買ってもらい、それからロック一筋です。そんな学生でしたので、将来はミュージシャンになることしか考えていませんでした。今も音楽を続けていますが、まさかアカデミアの世界に携わるなんてことは夢にも思わなかったので、自分が一番驚いています。その他、大学ではESS(English Speaking Society)にも所属しておりました。と言っても英語が得意ではないのですが、海外に目を向けるきっかけになりました。

産業衛生の道を志した時期(年齢・年代)やきっかけについて教えて下さい。

 みずほに在籍していた2014年度に、厚生労働省の委託事業において「爆発・火災等のリスクアセスメントのためのスクリーニング支援ツール」を開発したのがきっかけです。当該ツールは化学物質の「安全」がテーマですが、その後、「検知管を用いた化学物質のリスクアセスメントガイドブック」、「CREATE-SIMPLE」など「衛生」をテーマにしたツールの開発などを通じ産業衛生を学びました。もともと安全工学が専門なので、安全と衛生両方の視点から安全衛生を学ぶことで、その奥深さと面白さを知り、今に至ります。

新人時代の思い出について教えて下さい。

 三菱で最も印象的なのは、コークス炉での業務です。コークス炉は、気温もかなり高く特に炉の上は特殊な靴でないと靴底が溶けるような環境でした。そのような環境下なので危険源は多々ありましたが、きちんとリスク管理と安全・健康両面での配慮が徹底されており、会社一丸となって現場と社員を守る意識が強いと感じました。
 みずほで最も印象的なのは、UNEP(国連環境計画、United Nations Environment Programme)の国際会議に出席したことです。水銀条約に係る政府間交渉会議やICCM(国際化学物質管理会議、International Committee on Composite Materials)に参加したのですが、各国の政府代表者が昼夜を問わずせめぎ合い交渉する場、つまり国際的な化学物質管理の潮流が決まるさまを目の当たりにしたのは貴重な経験でした。

人生における転機やキャリアプランに関わる大きな出来事がありましたら教えて下さい。

  上述したOROCHI研究会の開催です。2017年頃からスタートしたのですが、様々な分野の専門家との意見交換を行うにつれ、社会のために「やるべきこと」と立場的に自分が「できること」のギャップが生まれました。みずほだからこそ出来ることも多々ありましたが、それを上回る「やりたいこと」が明確になったことから、次のステップに進むことを決意しました。また、ANOH(Asian Network Occupational Hygiene)という、アジアを中心とした産業衛生に係る国際会議への参加も大きな転機となりました。諸外国の産業衛生への取り組みを直接担当者から聞くことで、我が国の立ち位置を知り、更なる我が国の安全衛生の発展において何をすべきかを考えるきっかけとなり、グローバライゼーションの重要性を改めて実感する機会となりました。

転機を越えた後の新たなキャリアにおける思い出を教えて下さい。

 新たなキャリアを迎えてから1年も経っておらず日々発見の連続です。まだまだ知らないことばかりですが、その中でも化学物質を取り扱う本当の現場を知ることができたのは貴重な経験です。三菱ではプラントにいて、みずほではヒアリングなどで見聞きしていたので、ある程度現場を知っているつもりでしたが、本当に「つもり」であったと感じています。まだまだ教えてもらうことばかりですが、現場の生の声を聞くにつれ、視野も広まり、これまでの私の取り組みでは気が付かなかった多くの改善点が見えるようになりました。

本学会との関わりやメリットについて教えて下さい。

 もともと安全工学が専門であるため、産業衛生の世界と私をつないでいるのが本学会だと考えています。様々な分野、職業、視点を有した専門家の考えを見聞きする機会も多くあり、自分の考え方のブラッシュアップや「幅広い知見」の習得のほか、産業医などこれまであまり接する機会のなかった方々との人脈形成など多くのメリットを感じております。
 産業衛生技術部会に所属しているところですが、そこでも様々な活動に携わっています。比較的近い視点を有する方も多いことから、「知見の深化」につながって、自分自身の成長を支えてくれていると実感しています。

これから産業衛生の道を志す方々に向けて、メッセージをお願いします。

 人・物・金を社会の基本構造とすると、「健康な人」がいる(健全な職場がある)からこそ「高品質の物やサービス」を作ることができ、それが「高い利潤」を生むことができると考えています。言い換えれば、産業衛生や産業安全の確保が産業の一丁目一番地ではないかと考えています。そのため、産業衛生に携わることは産業の根幹を支えることでもあり、産業衛生の仕事は社会の屋台骨そのものではないでしょうか。そして、上述のとおり安全衛生は社会学でもあると考えておりますので、様々な視点が求められています。世界にも目を向けた、新しい風が新たな解決策を生み出すことが多々あることからも、同じ志を持った仲間が増えることを楽しみにしています。

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