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私のキャリアプラン

小森 陽子

小森陽子

小森 陽子
株式会社小森産業医事務所

略歴

 産業医科大学を卒業後、三重県で臨床研修を行う。大阪と東京で製造業の専属産業医として合計10年以上勤務した後、独立開業し、現在に至る。

資格

  • 日本産業衛生学会 産業衛生指導医
  • 社会医学系専門医制度 指導医
  • 労働衛生コンサルタント(保健衛生)
  • 公認心理師
  • 日本MBTI協会主催 MBTI認定ユーザー
  • 産業医科大学産業生態科学研究所産業保健管理学 非常勤助教。

現在のお仕事について教えて下さい(業務内容や日々のお仕事中の様子など)。

 嘱託産業医として数社と契約しています。それぞれ産業医として期待される内容が異なっており、A社では健康経営への提言や産業保健業務のマネジメントなどを中心にしています。B社ではメンタルヘルスを中心とした事例対応がメインです。優秀な保健師さんがしっかりと職場を守ってくれているので、連携しながら仕事をしています。C社は分散型事業場で1拠点の人数が10人程度であることから、本社の総務部門と連携しながら健康診断や復職支援を地道に行いつつ、管理職研修に力を入れています。
 他にも単発のセミナー依頼や、日本医師会の産業医研修会の講師なども担当しています。

 

学生時代についての思い出(例:所属サークル)や当時考えていた将来の方向性について教えて下さい。

 私の医師としての原体験は大学1年生の頃の家庭教師の経験です。教えていたのは、中学1年生の女の子で、知的障害がありました。ご家族の思いもあり、何とか役に立ちたくて、一生懸命教えました。ある日、彼女の苦手な算数を教えていたら、とても悲しそうな顔で「できなくてごめんなさい」と言われました。私は大きなショックを受けました。間違っているのは自分の方だと気づき、教え方をとにかく「楽しく」するように精一杯工夫しました。しばらくしたある日、「ひっ算のくり下がり」が突然できるようになりました。当時はそれほど大きく考えていませんでしたが、振り返ってみると、目の前で奇跡を見せてもらったのだと思います。

産業衛生の道を志した時期(年齢・年代)やきっかけについて教えて下さい。

 医学部5年生の頃に自分の進路を産業医に決めましたが、明るい選択ではありませんでした。もともとは臨床医をやりたいという思いで医学部を志しましたが、病棟実習の際に、臓器別に細分化した医療、手術や薬物療法中心の西洋医学に興味がもてず、ハードな仕事をこなしていく体力もないため、消去法的に産業医を選択したからです。産業医になってからも最初の5年間くらいは「私は医師に向いていない」「たまたま大学入試で勘が当たって合格した自分より、もっと適切な人が医師になった方が社会のためによかったはず」という申し訳なさを抱えながら、自分に自信がもてずにいました。

新人時代の思い出について教えて下さい。

 思い出深いのは本学会の専門医取得を目指したことです。大学の先輩や同級生に恵まれ、実務面の指導や勉強会は充実していましたが、学会発表ができておらず、専門医試験の受験資格を満たせていませんでした。指導医の先生は遠方かつご多忙のため、お願いすることを躊躇していたある日、先輩産業医から「専門医試験の準備は順調ですか?」とお声かけをいただきました。状況を相談したところ、新たに指導医(3人目)になってくださり、学会発表だけでなく研修手帳の詳細に至るまで丁寧にご指導頂きました。その後、無事に専門医を取得することができ、自己肯定感の低かった私が少しだけ自信をもてるようになりました。

人生における転機やキャリアプランに関わる大きな出来事がありましたら教えて下さい。

 医学部6年生の頃にドルフィン・セラピーを知り、とても感動しました。その後、東日本大震災後のメンタルヘルスケアを実施していく中でポジティブ心理学と出会い、人間の生命力を高め、能力を開発するために「心の状態」がいかに大切かを学びました。そして学生時代の家庭教師の体験、ドルフィン・セラピーに感動したこと、産業医として関わることの多いメンタルヘルスの仕事が、「心」というキーワードを通して、コネクティング・ドッツのように、点から線につながりました。振り返れば、様々な出会いや出来事を通して、自分の人生は「心」や「可能性」と向き合っていくという方向に導かれてきたのではないか、という思いを強くしています。

転機を越えた後の新たなキャリアにおける思い出を教えて下さい。

 2019年から産業医プロフェッショナルコースの実行委員を拝命しました。浜口伝博先生、加藤憲忠先生、山本誠先生という歴代の企画運営委員長のリーダーシップを間近で学びながら、素晴らしい能力と人間性にあふれた実行委員の先生方と一緒に研修企画をつくっていくことの面白さとやり甲斐を味わっています。特に2023年度は東北大学の色川先生と共同実行委員長として、「あなたが問われる産業医の胆力」というテーマのもと、胆管がん当事者企業であるSANYO-CYPの山村健司様、圓藤吟史先生、山本健也先生を講師にお迎えして開催することができました。受講者の皆さまからもご好評をいただき,感謝の気持ちでいっぱいです。

本学会との関わりやメリットについて教えて下さい。

 現在は外部環境の変化が激しいVUCA(*)の時代と言われています。そのような時代だからこそ、病気の予防という観点だけではなく、働く人がより健康でより幸せになるために「産業医にできることは何か?どういう存在であるべきか?」という根本的な問いを考え続けながら、企業における具体的な活動をどのように展開していくか、医学的エビデンスをもとに学び続けることが重要だと考えています。専門医試験は大変ですが、だからこそ能力開発の目標になります。そして、様々な専門性、知見、経験をもった多様な方々とネットワークをもち、意見交換をしながら相互に成長できる本学会のような場は、これからますます必要になると思います。
(*)VUCA…Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)という4つの単語の頭文字をとった言葉で、目まぐるしく変転する予測困難な状況を意味します。

 

これから産業衛生の道を志す方々に向けて、メッセージをお願いします。

 私はキャリアを考える際に2つの理論が重要だと考えています。1つ目はエドガー・H・シャイン氏が提唱した「キャリアアンカー」です。私自身、産業医を志した際に「これがしたい」「こうなりたい」という明確なものはありませんでしたが、「人の役に立ちたい」という思いは常に心の中にありました。2つ目はジョン・D・クランボルツ氏が提唱した「計画された偶発性理論」です。受動的にみえるかもしれませんが、機会が与えられたら、それをご縁と思いやってみること、壁にぶつかってもあきらめずに、自分にできることを誠実にしていけば、指導者が現れ仲間ができ、思わぬ可能性が開けていくのではないかと思います。

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