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私のキャリアプラン

平野井 啓一

平野井

平野井 啓一
株式会社メディカル・マジック・ジャパン
平野井労働衛生コンサルタント事務所

略歴

2004年3月 秋田大学医学部卒業
2006年3月 臨床研修修了(宮城厚生協会 坂総合病院)
2006年4月 内科総合研修(宮城厚生協会 長町病院)
2009年5月 日本医師会認定産業医取得
2013年4月 株式会社メディカル・マジック・ジャパン設立
2021年4月 SBS東芝ロジスティックス株式会社 統括産業医
現在に至る

資格

  • 日本産業衛生学会 産業衛生指導医

  • 社会医学系専門医・指導医

  • 労働衛生コンサルタント(保健衛生)

  • 作業環境測定士(二種)

  • 公認心理師

  • 日本産業衛生学会専門医制度委員

  • 産業医プロフェッショナルコース実行委員

  • (一社)日本アンガーマネジメント協会ファシリテーター/コンサルタント

  • (一社)日本ほめる達人協会 特別認定講師

  • 温泉ソムリエ

現在のお仕事について教えて下さい(業務内容や日々のお仕事中の様子など)。

 嘱託産業医が仕事の中心です。関東地方を中心に約20社の嘱託先を訪問しています。業種は食品製造業、運送業、小売業、アパレル、情報通信業など多岐に渡ります。訪問先では職場巡視、面談、健診結果確認、衛生委員会の参加といった一般的な産業医業務のほか、新入社員研修(セルフケア)、管理職研修(ラインケア)、アンガーマネジメント研修、ほめるセミナー等の講師を担当しています。また外部から講演会のご依頼をいただく事もあり、遠方に出張する日もあります。コロナ前まではマジシャンとしても活動していたのですが、コロナ禍で人が集まることが難しくなり、現在は休業状態です。

平野井2
2022年 米子市役所メンタルヘルス研修会にて

学生時代についての思い出(例:所属サークル)や当時考えていた将来の方向性について教えて下さい。

 学生時代はバドミントン部に所属していました。残念ながらバドミントンはそこまで上達しませんでしたが、お酒を通じての楽しい思い出は私の貴重な財産です。元々出身も秋田だったので、そのまま地元に残り臨床医をする事をイメージしていました。しかし大学3年次に父の経営する会社が倒産したため、奨学金とバイトで学費と生活費を稼ぐ日々となりました。その関係で卒後は奨学金を借りていた病院へ自動的に就職が決まりました。初期研修を終えたのち、借金返済と家族の生活費を稼ぐため、関東に出て健診と救急当直や夜間健診の非常勤の仕事を掛け持ちして生活していました。医師としての将来を考えるととても辛く感じた時期でした。

産業衛生の道を志した時期(年齢・年代)やきっかけについて教えて下さい。

 自治医科大学での産業医研修会が私の人生を大きく変えました。当時の私は31歳、申し込んだ段階では正直そこまで産業衛生に興味はなく、とりあえず産業医資格を取得するために受講するつもりでした。ところが最初の浜口先生の講義を拝聴し、その考えは180度変わりました。「病気を治すのも医師の仕事だけど、病気にならないようにするのも医師の仕事」この言葉を聞き、もしかしたら自分はこの仕事が向いているかもしれない!そんな根拠の無い自信が沸いてきて、この世界に飛び込みました。それから15年、あの時の選択は間違っていなかったと強く実感しています。

新人時代の思い出について教えて下さい。

 産業医資格を取った後、嘱託契約先を探しましたがなかなか見つかりませんでした。紹介会社に何社も登録しましたが、未経験である私と契約してくれる企業はそうありません。何十社も応募してやっと一社決まりました。夜間にお惣菜を作っている工場。訪問は夜10時から。眠気よりも契約してもらった嬉しさで毎回喜んで訪問していました。そしてまた1社、また1社と契約をいただき、何とか産業医の収入だけで生活していく事が出来るようになりました。今振り返るととても恥ずかしい記憶もありますが、自己流でもがむしゃらに目の前の仕事にぶつかっていったあの頃をとても懐かしく感じています。

人生における転機やキャリアプランに関わる大きな出来事がありましたら教えて下さい。

 契約企業も増え、生活はとても安定しました。しかし自己流でやっていたため、普段自分がしている判断や業務について不安を感じるようになってきました。そこで研修会でお世話になった浜口先生に思い切ってご連絡をしたところ、会っていただけました。先生から産業衛生学会の専門医を目指しなさいとご指導をいただき、研修をスタートしました。それまで仕事の量を増やす事しかしていなかった私が、初めて仕事の質を深めるステージに進んだ瞬間でした。それから5年後、私は専門医試験に合格する事が出来ました。産業医を始めるときも、専門医の道に入る時もいつも浜口先生が導いてくれました。

転機を越えた後の新たなキャリアにおける思い出を教えて下さい。

 専門医試験に合格後、OHAS実行委員に選んでいただき専門医試験を受ける方たちのサポートをする役目をいただきました。またその後産業医プロフェッショナルコース実行委員、更に専門医制度委員に選んでいただきました。ちょっと前まで道に迷っていた自分に務まるのだろうか?そんな思いもありました。ただ迷っていたからこそ、自分の歴史が役に立つかもしれない。今迷っている人の助けになるかもしれない。そんな想いを持ちながら新たなキャリアを歩んでいます。

本学会との関わりやメリットについて教えて下さい。

 産業医科大学出身ではない私にとっては、最新の情報収集や研修、人脈形成に大きなメリットを感じております。独学での学びには限界があって、様々な産業医の先生の知見を見たり聞いたり、教えていただける場は本当に貴重です。現在私は前述の委員を務めさせていただいたおります。そのような役割をいただく事で、今までお会い出来ないような先生とも共に仕事をさせていただき更に人脈が広がりました。常に自分よりもハイレベルな人と接する事で、井の中の蛙にならず自分を磨く事が出来るのも学会のメリットだと思っています。

これから産業衛生の道を志す方々に向けて、メッセージをお願いします。

 働く人の人生に寄り添う事が出来る、とても価値ある仕事だと思います。一見地味に見える仕事の中には、想像以上にドラマティックな場面もあります。人の幸せに関わることが出来た!そんな心温まる場面もたくさんあります。私自身もこの仕事に出会い、幸せで充実した日々を手にする事が出来ました。皆さんにもそんな経験をたくさんしていただきたいと思っております。この仕事は人と人の繋がりがとても重要です。縁を繋ぐ事が人生を思わぬ方向に導いてくれます。迷っていたらいつでも相談してくださいね。働く人と自身の幸福を実現してきましょう!皆さんと共に歩める事を楽しみにしております。

 

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