主治医から産業医への情報提供の必要性について
主治医から産業医への情報提供の必要性について
~連携の重要性を視点に~
2015年1月31日
日本産業衛生学会 産業医部会 幹事会
経済のグローバル化等に伴う一人当たりの業務負荷の増大、労働者人口の高齢化などによって、産業現場における健康管理の重要性は昨今急激に増大しており、今後さらにこの流れは続くと考えられる。このような状況下では、疾病を抱えながら就労する労働者の増加は避けられない。
現在、医師間で交わされる情報提供としては、医療情報提供書が公的医療保険適用の対象となっている。ただし、これは保険医療機関間に限られる。よって、産業医としてこれを業務に活用できるのは、診療所を有する大規模事業場に勤務する極一部であり、大多数の産業医にとっては利用できない。そのため、主治医から正確な病状や就業上の配慮などの情報が、提供されにくい現状がある。
正確な診断や病状、服薬内容、今後の見通し、具体的な就労上の配慮事項などの医療情報は、労働者が適切な就業上の配慮を受けるにあたって極めて重要である。一方で、医療情報は特別機微な情報として、プライバシー保護にも十分配慮されなければならない。産業医は事業者と労働者の間に立って、プライバシー保護に配慮しつつ、医療情報を適切に管理することができる立場にある。
主治医から産業医への情報提供が重要となる場面としては、①メンタルヘルス不調者に対する適切な職場対応、②ガン患者が治療を受けつつ就労を継続する場合、③突然意識を失うなど、運転業務を含めて安全確保において疾病情報が欠かせない病気や状態、が考えられる。④その他の疾患(病態)を含め、それぞれについて説明を加えたい。最後にまとめて関連する文献を提示する。
①メンタルヘルス不調者に対する適切な職場対応
昨今、職場のメンタルヘルスにおいて、うつ病の多様化が話題となっており、以前のように、うつ病という診断が下されたら、やさしく休ませて回復を待つ、という単純な対応では上手くいかなくなってきている。新型うつ(現代型うつ)、双極性障害、発達障害、パーソナリティー障害などは、その状態や特性に応じて、主治医と職場が連携して適切に対処しなければ、健全な就労を維持することは難しい。特に、休業していた労働者が復職する際、スムースな復帰と再発予防には主治医から職場への情報提供が欠かせない。この点は、厚生労働省から出された『心の健康問題により休業した労働者の職場復帰支援の手引き』にも強調されている。さらに、病状の回復レベルだけでなく、本人の問題点や職場での配慮に関して、主治医から情報提供がなされることで、より適切な職場対応が可能となり、再発を予防できる。
その一方で、精神科疾患に対する偏見は未だに強く、診断書が人事労務担当職制の管理に委ねられる現状から、病名を含めてその内容が正確でないことが多く、情報も限られ、復職支援の参考とならないことが多い。従って、守秘義務を有する医療専門職である産業医が間に入り、主治医から正確な医療情報が必要十分提供され、プレイバシーに問題ない形で活用されれば、極めて意義が高いといえる。
②ガン患者が治療を続けながら就労を継続する場合
現在、日本人の二人に一人がガンに罹患し、三人に一人がガンで死亡する。労働力の高齢化が進展する中、ガンに罹患する労働者は確実に増加する。また、治療法や副作用対策の進歩によって、化学療法や放射線治療が外来で可能となり、治療しつつ、就労を継続する労働者の増加が見込まれる。受け入れる職場側としては、正確な診断と概略の予後、今後の治療が業務に与える影響など、ある程度の見通しが就労配慮上必要である。その情報の受け取り先として産業医であれば、提供する主治医としても安心して十分な情報を提供でき、かつそれを適切に活用することが可能である。
③突然意識を失うなど、安全が保てないことが予想される疾病に関して
業務中に意識を失うような状況はどんな職場においても危険を伴う。また、平成26年6月に改訂道路交通法が施行され、病気や内服薬によって突然意識を失うなど、安全な運転ができない恐れのある場合には、運転免許取得を制限することとなった。運輸業を中心に運転そのものが業務である企業は多い。また、フォークリフトやクレーンなどを運転する業務は産業現場ではごく一般的である。さらに、通勤で車を活用する社員へは、通勤災害を予防する必要性が企業に課せられる。
本人がみずから申告しない限り、正確な病名や内服薬が産業現場へ情報提供されることは少ない。安全確保のために主治医からの情報提供が必要であるが、直接、職制へ情報が提供されるとなると、不利益な取り扱いを受けるのではという不安から、本人が拒否する可能性がある。情報の受け取りが産業医であれば、安心して情報提供に応じることが可能となる。また適切な職場配慮という点においても、産業医の関与が望ましい。
④その他
肺結核、ウイルス性肝炎のキャリア、などの感染性疾患では、プライバシーに配慮した職場対応が求められる。また、腰痛や頸肩腕障害などの運動器障害でも専門医の視点から就業上のアドバイスをもらうことは有意義である。さらには、障害者雇用においても、障害の程度や問題点などの情報が主治医から産業医へ提供されることで、問題なく就労が可能となる。
以上より、主治医から正確で必要十分な医療情報の産業医への提供は、事業者の安全配慮義務履行において極めて価値の高いものであり、今後さらに必要性が高まると予想される。主治医から医療情報を提供し易くするために、産業医への「医療情報提供書」が、公的な医療保険対象となることが強く望まれる。
文献
①メンタルヘルス不調者に対する適切な職場対応
・厚生労働省:心の健康問題により休業した労働者の職場復帰支援の手引。平成16年10月発表、平成21年3月、平成24年7月改訂。
・産業医科大学精神医学教室:産業医のための精神科医との連携ハンドブック。(株)昭和堂。2005.
・鎗田圭一郎:職場復帰・その後のフォローの方策. 産業医活動をする人のために. 247-256、 産業医学振興財団. 東京. 2005.
・中村純:産業医と精神科医との連携による職域のメンタルヘルスケア -手技と実際.産業医学レビュー.18,139-152,2005
・廣尚典:働く人の自殺 -その現状と対策. 業医学レビュー.18,117-138,2005
・鍵本伸明:精神科医からみた「こころの健康問題により休業した労働者の職場復帰支援のてびき」~大うつ病性障害を疾病モデルとして~. 産業医学レビュー.19,87-108,2006.
・芦原睦:産業ストレス研究特集「産業保健スタッフと臨床現場の新たなる連携」. 産業ストレス研究.13,81-112.2006.
・廣尚典:職場のメンタルヘルスにおいて産業医の果たすべき役割. 日本医師会雑誌136:69-72,2007
・岡田邦夫:メンタルヘルスケアにおける職場復帰と復帰後の管理の実際. メンタルヘルスケア実践ガイド. 第二版 208-214。産業医学振興財団。東京、2008.
・山地清久、竹内武昭、野村恭子、中尾睦宏:頭痛を主訴として来院したが、産業医との連携でうつ状態と判明した症例. 治療学 42:205-208. 2008.
・久保千春、林剛司、前久保邦昭、中村純:座談会「多様化するうつ病と企業の対応」.日本医師会雑誌.138:2229-2241,2010.
・服部真、嶋田亜希子、横矢喜代江:産業医による精神疾患休業者職場復帰支援50例の教訓. 産業衛生学雑誌 53(臨時増刊号):591. 2011.
・五十嵐良雄、大木洋子:リワークプログラムの治療的要素およびその効果研究. 産業ストレス研究.19,207-216.2012.
・酒井佳永、秋山剛:リワークプログラムの現状と今後の可能性. 産業ストレス研究.19,217-226.2012.
・有馬秀晃、秋山剛:うつ病のリワークプログラム。産業ストレスとメンタルヘルス。195-204. 中央労働災害防止協会、東京、2012.
・笹原信一朗.精神科医が教える「心が折れない部下」の育て方.メディアファ クトリー,2012
②ガン患者が治療を受けながら、就労を維持する場合
・門山茂、野村和弘、嶋田紘:産業医に役立つ最近の研究報告(第16回)、ガン罹患勤労者の復職・治療と就労との両立支援に関する研究。産業医学ジャーナル. 35. 89-94. 2012
・シンポジウム:ガンを抱えながらの就労を考える.第二十三回日本産業衛生学会産業医産業看護全国協議会抄録集.82-87.2013
③突然意識を失うなど安全が保てないことが予想される疾病に関して
・森晃爾:「メンタルヘルス不調者の職場復帰への対応で困ったこと~抗うつ剤服用時の自動車運転の可否~」.安全衛生コンサルタント34 No.112、69~ 2014.
・日本精神神経学会:患者の自動車運転に関する精神科医のためのガイドライン 付記:患者からの質問に答えるための参考資料。2014年6月25日.
④その他
・伊藤英明、佐伯覚、蜂須賀研二:産業保健における中途障害者の職場復帰. MEDICAL REHABILITATION. 152:21-26. 2012.
・吉田雅子、津田諭、山田信也、湯川仁康、下堂園保、工藤正一:中途視覚障害者の復職を推進させた眼科医から産業医への情報提供書. 日本ロービジョン学会誌 13:20-25. 2013.