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2002年10月

健康増進法に規定された健康手帳に関する意見書(抄)

日本産業衛生学会理事会

 第154回国会において可決成立した健康増進法第9条に厚生労働大臣は 「健康増進実施事業者に対する健康診査の実施等に関する指針」を定めることが規定されている。日本産業衛生学会理事会は、指針で公示される予定である 健康手帳のあり方について、学会の外部の有識者を交えたワーキンググループを組織し、現時点における意見を以下のようにまとめた。

 健康手帳の内容や活用方法等は現在未定であるが、健康診断で収集および 保管されている健康情報が取り扱われることは確実である。一般に健康情報は極めてセンシティブな個人情報であるという点を認識しておく必要がある。 また、産業保健で実施されている健康診断は法的義務の存在や職業適性の判断に用いられる点で地域保健のものとは異なるため、職域に健康手帳が 導入され、地域での保健指導等が行われるようになると、労働安全衛生法の 事業者の責務としての労働者の健康管理という前提が崩れる恐れが生じる。
さらには、以下の四つの観点から、この健康手帳を産業保健の現場に導入 するにはいくつかの課題が存在する。

 第一に、個人健康情報の保護の観点から、

  1. 健康手帳に法定の健康診断 項目以外の健康情報が盛り込まれる場合、健康手帳を取り扱う可能性のある 全ての者を対象とした守秘義務を規定する法規を整備する必要がある、
  2. 健康手帳に記載されている健康情報が取り扱われることにより、労働者が 不利益を被らないよう法規等の整備をする必要がある、
  3. 本人同意を前提とした健康手帳の外部への開示にはその実効性を持たせるため、法的な 禁止事項を設定する必要がある、
  4. 本人が誤りであると考える健康情報の 訂正・削除請求権、すなわち、「自己情報コントロール権」が保証されるのか、
    等の課題が存在する。

 第二に、事業者・産業保健専門職の負担という観点から、健康手帳の導入に かかわる費用を誰が負担するのか、健康手帳に健康情報や事後指導内容を記載等に伴う膨大な作業を誰が行うのか、について議論が整理されていない。

 第三に、健康手帳に記載された内容に対する事業者の労働安全衛生法上の就業上の措置の実施義務及び民事上の安全配慮義務も生じる可能性がある。

 最後に、職場で実施されている健康診断は労働者の疾病予防や死亡率の改善という点で、医学的有用性は未だ明白には証明されていない。生活習慣病など慢性疾患の予防という観点からは、法定の健康診断項目以外の健康情報が有効となることが予想されるが、個人情報保護という点から慎重に扱う必要がある。
検査値のみの記載になれば、生活習慣病予防という観点からの医学的有用性に疑問が残る。

 上述した健康手帳の導入に伴う課題から生じる問題等を最小限度にするためには、以下の対策や対応が必要であると考える。

  1. 健康手帳は、原則として労働者本人が保管し、使用することとする。
    すなわち、健康診断結果の通知を受けた労働者がその内容を健康手帳に記載し、産業医や産業看護職の指導に基づいて関連する健康情報を労働者が記載する。
    また、このことができる形態にする。
  2. その健康手帳の活用、具体的には住居する市町村保健スタッフや主治医等の医療機関への提示は、労働者本人の判断で行うことができるものとする。
  3. 上記の(2)の場合でも個人情報が確実に保護できるのかという懸念が生じるため、健康手帳に接する可能性のある医師、保健スタッフ、事務職員に適用するための守秘義務を法規により規定する。
  4. 健康手帳の開示要求への拒否については現行法によっても可能と考えられるが、さらに実効性を持たせるために、拒否権や禁止事項等について法規により規定する。

健康増進法に規定された健康手帳に関する意見書(本文)

日本産業衛生学会理事会

I はじめに
 2002年7月に閉会した第154回国会において可決成立した健康増進法(以下、本法)は、わが国における高齢化の進展や疾病構造の変化による国民の健康増進の重要性の増大を鑑み、健康づくりや疾病予防を積極的に推進するための環境整備を進め、健康増進の総合的な推進の基本的事項をまとめ、さらに必要な措置を講ずることを目的としている。
本法の主要な内容は以下の六つにまとめられている。

  1. 国民の健康増進の総合的な推進を図るため、厚生労働大臣は基本方針を(第7条)、都道府県は都道府県健康増進計画を、市町村は市町村健康増進計画(第8条)を定める。
  2. 厚生労働大臣は、健康保険法その他の関係法令(含む労働安全衛生法)に基づき行われる健康診査の実施等に関する共通の指針を定める(第9条)。
  3. 厚生労働大臣は、国民健康・栄養調査を行う(第10条)とともに、国及び地方公共団体は、生活習慣病の発生の状況の把握に努める(第16条)。
  4. 市町村は、生活習慣の改善に関する相談等を行い(第17条)、都道府県等は特に専門的な知識及び技術を必要とする保健指導等を行う(第18条)。
  5. 多数の者が利用する施設の管理者は、受動喫煙を防止するために必要な措置を講ずる(第25条)。
  6. 特定給食施設の設置者は、当該施設における適当な栄養管理を行い(第21条)、現行の栄養改善法に基づく特別用途表示及び栄養表示基準の制度を引き継ぐ(第26から33条)。

 これらの六点のうち、主には(2)と(4)が産業保健領域における労働者の健康管理との関連が深い。
特に、本法第9条第1項において「厚生労働大臣は、生涯にわたる国民の健康の増進に向けた自主的な努力を促進するため、健康診査の実施及びその結果の通知、健康手帳の交付その他の措置に関し、健康増進事業実施者に対する健康診査の実施等に関する指針を定めるものとする」と規定されたことを受けて、今後、厚生労働省健康局の主管で2年程度かけてまとめられる予定である。
「健康増進実施事業者に対する健康診査の実施等に関する指針」(以下、指針とする)の内容について産業保健専門職の立場から意見を述べる必要があると考え、指針で公示される予定である健康手帳のあり方について、学会の外部の有識者を交えたワーキンググループ(岸玲子、甲田茂樹、砂押以久子、中明賢二、平田衛、堀江正知、三柴丈典、矢野栄二)を組織し、現時点における意見を以下のようにまとめた。

II 健康手帳の導入に伴う課題
 健康手帳の内容や活用方法等は現在未定であるが、健康診査および健康診断において収集および保管されている健康情報が取り扱われることは確実である。
しかし、労働衛生行政における健康診断は、労働者に受診義務があり、その主な目的が有害要因への曝露による健康影響サーベイランスや個別労働者の就業適性の評価であること、事業者に罰則つきの実施義務が規定されていること、および事業者に結果を保存する義務があることなどから、地域保健で実施されている健康診査とは異なる点がある。したがって、健康手帳の導入に際しては、以下のような課題が存在する。

  1. 個人健康情報の保護
     一般に、健康情報は極めてセンシティブな個人情報であるという点をまず認識すべきである。
    事業場の衛生管理者や事務職等の非医療職、法定健診結果以外の健康情報に関しては、労働安全衛生法、刑法、または医療職の身分法に規定されている守秘義務が適用されない。
    健康手帳に、労働安全衛生法に規定された定期健康診断に基づく健康情報以外の家族歴、ワクチン接種歴やアレルギー、人間ドックやがん検診の結果等の健康情報も盛り込まれる可能性があるとすると、健康手帳に記載された健康情報を取り扱う可能性のあるすべての者を対象とした守秘義務を規定する法規を整備することが不可欠である。

     また、労働衛生の現場では、健康情報に基づく労働者の健康管理が事業者によって行われる際に、労働衛生関連法規等に基づいた雇用と健康の両面を図るためのルールが存在し、労働者が不利益を被らないような配慮がなされている。
    今回の健康手帳は、健康診断結果等に基づく健康情報が記載されることになると考えられるが、その趣旨から考えて、本人が所持することにより健康増進に利するように活用されるものであり、事業者により職域の健康管理のために使用されるものではないと考える。
    しかし、厚生労働省が力を入れている地域・職域連携保健活動の流れや前述の本法の主要な内容の(4)を考慮すれば、健康手帳を所持した労働者は、事業場の産業医・産業看護職、地域産業保健センター以外にも、市町村等の地域保健における保健指導、とりわけ、生活習慣病に関連した保健指導等が受けられることになる。このように、労働者に保健指導を提供する保健医療職の範囲が拡大することは、労働者が健康増進を促進する機会が増えることを意味する反面で、個人の健康情報に接する保健医療職や事務担当者範囲が増加することも考えられる。
    したがって、労働者がその健康情報を取り扱われることによって不利益を被らないような法規等の整備を行う必要がある。
    今国会で継続審議扱いとなった個人情報保護法案の運用や解釈において、労働者の雇用と健康の両立が十分に配慮される必要があると考える。

     加えて、仮に、労働者の生活習慣病の保健指導等が事業場と契約関係のない保健医療職にもゆだねられることがあるとなれば、ある事業場の労働者に関する健康情報やそれに関連する企業情報が事業場以外で把握されることになるという問題が生じる。
    さらに、労働安全衛生法の事業者の責務としての労働者の健康管理という前提が崩れる懸念も生じる。

     さらに、健康手帳を所持する労働者に対して、外部からの開示要求がなされた場合、労働者の不利益にならないような配慮が必要となる。たとえば、労働者の採用・転職等に際して使用者から健康手帳の開示を求められる場合がこれに該当する。
    医療機関における健康手帳の開示についても、患者の不利益にならないような配慮が必要である。いずれにしても、事業者と労働者、医師と患者との関係においては、それぞれ事業者と医師に優位な力関係が存在することから、健康手帳の外部への開示については、当然に本人の同意を必要とすることを明確にすべきであり、このことに実効性を持たせるためには、法的な禁止事項を設定する必要があると考える。

     最後に、健康手帳に記載される内容に関する「自己情報コントロール権」に関わる問題として、本人が誤りであると考える健康情報の訂正・削除請求権を本人に与えるかどうか。
    また、第三者、とりわけ、事業者に開示を要求された場合、本人が事業者に知られたくない情報まで記載されている場合、労働者本人に記載を拒否する権利があることを法規上も明示しておくことが課題となる。
    訂正・削除請求権については、個人情報保護法が成立すれば、この法律に基づいて請求することが可能になると考えられるが、現状では課題であると考える。

  2. 事業者・産業保健専門職の負担健康手帳の費用負担者については、議論が整理されていない。
    健康手帳を個人のみが保管し使用する場合、労働安全衛生法に基づく健康診断結果とは異なる健康情報が含まれていても、個人が拒否すればそれらを事業者が使用することはできない。
    そのような情報を保管するための手帳や台紙といった物品だけを事業者が作成したり購入したりすることは、事業者の立場から合理性に欠けることから、抵抗が予想される。
    特に、中小事業場に費用負担を求めるのは困難が予想されるが、仮に、事業者が負担するのであれば、負担を拒否する事業者を処罰しなければ、制度の平等性を確保できない。すなわち、全ての労働者に健康手帳を配布する費用負担をどうようにするのか、大きな課題である。

     また、事業場の産業医、産業看護職、または衛生管理担当者等の専門職が健康手帳に健康情報や事後指導内容を記載・転記したり、配布したりすることになれば、その作業量は膨大なものとなることが予想される。
    それらの専門職の労働に相当する賃金の負担も大きなものになる可能性がある。一方、専門職による健康手帳の作成業務が事業者としての義務と明確に規定されないのであれば、専門職のこのような作業は事業者が積極的に意図しない労働となるばかりか、専門職による作業に過誤があれば管理者としての責任を問われることになるなど、事業者からの理解は得にくいものとなる。
    これらの課題を回避するためには、健康手帳への記載や転記については、すべて労働者本人が実施するように規定することが望ましい。

  3. 事業者の安全配慮義務
     労働安全衛生法においては事業者の責務として規定されている労働者の健康の確保の中心部分は、同法に定められた健康診断結果に基づく医師意見を勘案したうえでの就業上の措置として実施される。
    また、事業者が知り得た個別労働者の健康状態に配慮せず就労させた結果、健康状態が増悪した場合には、被災者からの民事上の損害賠償請求の根拠として、事業者による労働契約上の付随義務である安全配慮義務違反を問われることがある。
    健康手帳に記載された労働者個人のさまざまな健康情報について、事業者が知り得る制度が導入された場合、その内容に対する事業者の労働安全衛生法上の就業上の措置の実施義務及び民事上の安全配慮義務も生じる可能性がある。
    一方、市町村等の地域保健のスタッフが健康手帳に基づいて実施した保健指導と、事業場で行われたそれとに相違点がある場合には、混乱やトラブルの発生が懸念される。

  4. 医学的有用性という観点から
    健康手帳に記載される健康情報は健康診断に基づくとされている。労働安全衛生法に基づく健康診断は、労働者の疾病予防には大きな役割を果たし、歴史的に見ても産業保健専門家の長年の努力で多くの改善がなさられてきた。
    しかし、疫学的に見ると、医学的有用性についてはいまだ十分証明されていない項目もある。
    この理由としては、労働安全衛生法による健康診断、とりわけ、定期健康診断は事業者の責務で毎年実施されるため、RCT (Randomized Control Trial)等の疫学的手法を用いた医学的有用性の検討が困難であることがあげられる。
    この他に、健康診断は職業適性の判定や職場の問題点の発見(サーベイランス)を目的として実施されている。しかしながら、労働者の就労している業種が多種であり、職場の課題には多くの職業要因が関与していることから、現在のような一律の健康診断項目の実施だけでは、これらの点についても有用性を確認しづらい状況にある。

     それでは、生活習慣病など慢性疾患の予防という観点からはどうであろうか。
    生活習慣病には、個人の食生活、飲酒・喫煙習慣、運動習慣等の様々な生活習慣や家族歴などの素因、既往疾患が関与していると言われており、今回の健康診断情報に基づく健康手帳にもこれらの内容、さらには、今までどのような保健指導や医学的治療を受けてきたのかが記載されていれば活用価値の高いものとなり、さらに、自己目標の記載等がなされれば、健康保持増進活動の動機付けや持続には利するところが大きい。

     しかしながら、個人情報保護という観点からは、これらの健康情報はより一層慎重な取り扱いが必要な内容を含み、健康手帳への記載が労働者のつ不利益にはながらないことが担保されえない限り、ありとあらゆる健康情報が記載されることについては賛成できない。
    一方では、血液検査等の検査値のみの記載では、生活習慣病予防という観点からの医学的有用性は少ないのではないかと考えられる。
    健康診断の検査値データには、経年的にその変動を観察するという意味合いもあるが、転勤や異動の多い職域では検査値データの精度管理が
    保証される必要がある。

     以上のことから、健康手帳が労働者の生活習慣病の予防に医学的有用性を発揮するためには多くの解決すべき課題が存在する。

III まとめ
 健康手帳の導入に伴う課題から生じる問題等を最小限度にするためには、以下の対策や対応が必要であると考える。

  1. 健康手帳は、原則として労働者本人が保管し、使用することとする。すなわち、健康診断結果の通知を受けた労働者がその内容を健康手帳に記載(ないしは、ファイリング)し、産業医や産業看護職の指導に基づいて関連する健康情報等を労働者が記載する。
    また、このことができる形態にする。

  2. その健康手帳の活用、具体的には住居する市町村保健スタッフや主治医等の医療機関への提示は、労働者本人の判断で行うことができるものとする。
  3. 上記の(2)の場合でも個人情報が確実に保護できるのかという懸念が生じるため、健康手帳に接する可能性のある医師、保健スタッフ、事務職員に適用するための守秘義務を法規により規定する。
  4. 健康手帳の開示要求への拒否については現行法によっても可能と考えられるが、さらに実効性を持たせるために、本人の意見に基づく開示拒否の権利および開示に関する禁止事項等について法規により規定する。

 今回、理事会では健康手帳に関して検討を行ってきたが、厚生労働省は健康診断に代表される健康情報を標準化(以下、健康診断データの一元化とする)し、労働者への生活習慣病に関連した保健指導等を地域保健サイドからも提供できるように計画している。
先般出された「生活習慣病予防のための地域職域連携保健活動検討会報告書」の中でも、地域保健の健康情報(老人保健法による基本健康診査)と職域保健の健康情報(労働安全衛生法による定期健康診断)を一元化することで、より正確な地域診断を行い、地域保健と職域保健の双方が健康診断データに基づいた保健指導等が可能になるように検討する必要があるとしている。
これらの取り組みを推進するために、厚生労働省は前述の指針を今後2年間かけて作成すると予定されているが、この健康診断データの一元化は個人情報保護の観点から様々な問題が予想されるため、様々な観点から慎重に検討していく必要がある。

 
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